日相上人は、寛永11年(1634年)、同市木曽川町西割田に生まれました。
正保2年(1646)同町にある妙王山法蓮寺の第11世住職日近上人の弟子となり、万治3年(1660)11月、27歳で法蓮寺の第13世住職となりました。
その後、活発な布教と、同寺の修復、整備に力を注ぐとともに、宗門の学問に於いても大いに研鑽を積み、延宝元年(1673)、一宮市木曽川町の地に学問所を開設した。
日相上人は、宗門きっての学僧であり、音韻学の大家としての著述も多い。
この学問所は、元禄13年(1700)に閉鎖されたが、この間に日相上人が書き上げた「妙法蓮華経」(日相本)は、法華経の校本として世に広く知られている。
日相本(要品)
また、一宮市の文化財に指定されている「日相上人墳墓記」は、日相上人の悟りを俗文であらわしたものであるが、学問所閉鎖の前年に完成したものとされ、閉鎖と深い関係があると推察される。
日相上人は、享保3年(1718)10月17日、85歳で遷化され、その学問所跡にこの墓碑が建てられた。
日蓮宗の僧侶、檀信徒にとっては、日頃読誦する法華経の読み方の礎が築かれた大切な場所である。一度は、訪れ日相上人の布教の志に触れてみたい。