こんな時間まで、頑張っています!
2019年09月04日
2019年02月03日
寺メシ紹介 小牧市実相寺節分会編
こんにちわ(^o^)/突然ですが、今日は何の日かご存知でしょうか?
えっ選挙❗️
そうそう愛知県知事選挙ですけど(^_^;)
今日は2月3日、節分です
前厄の私は厄祓いの為、小牧市実相寺様の節分会に参加して来ました(o^^o)
まずは受付で厄除けの申し込み 四千円也
午後の部は13時30分〜の為、客殿で実相寺名物の寺メシを頂戴しました
ジャーン☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
本日の寺メシ
客殿はこんな感じで大賑わい
続いて経王殿に移動して厄除けのご祈祷をしていただきます
えっ選挙❗️
そうそう愛知県知事選挙ですけど(^_^;)
今日は2月3日、節分です
前厄の私は厄祓いの為、小牧市実相寺様の節分会に参加して来ました(o^^o)
まずは受付で厄除けの申し込み 四千円也
午後の部は13時30分〜の為、客殿で実相寺名物の寺メシを頂戴しました
ジャーン☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
本日の寺メシ
白菜漬が絶品
客殿はこんな感じで大賑わい
続いて経王殿に移動して厄除けのご祈祷をしていただきます
実相寺経王殿
豆撒き中
その後に運試しのくじ引き
写真を撮り忘れましたが、入浴剤(バブ)が当たりました(^-^)v
美味しい寺メシ・ご祈祷・豆撒き・くじ引きと盛り沢山
とっても有り難い一日となりました
来年は本厄なので、また伺わせていただきますo(^o^)o
実相寺様の節分会は毎年2月3日 10時〜15時まで
その後に運試しのくじ引き
写真を撮り忘れましたが、入浴剤(バブ)が当たりました(^-^)v
美味しい寺メシ・ご祈祷・豆撒き・くじ引きと盛り沢山
とっても有り難い一日となりました
来年は本厄なので、また伺わせていただきますo(^o^)o
実相寺様の節分会は毎年2月3日 10時〜15時まで
2018年05月10日
寺メシ紹介 小牧市実相寺編
今日は良い天気だったので、小牧市の実相寺さまにお参りに伺いました
5月10日は実相寺さまで最上稲荷さまの大祭が営まれておりました(^^)/
本堂の裏にある稲荷堂でお参りします
立派な池には鯉がたくさん
沢山のお坊さんにご祈祷をしていただいて、
実相寺名物の田楽をいただいてきました(*^_^*)
お手伝いの奇麗な女性陣が焼いてくれますが、
残念ながら写真はNG
スゴく美味しい田楽が食べ放題
ご馳走さまでした<(_ _)>
毎年5月10日が実相寺さまの大祭です
田楽が食べたい方は是非ともお参り下さい
因みにご祈祷料は3000円〜です ちくわ🍄
2017年07月13日
法華のいにしえ 〜日相上人学問所跡をたずねる〜
愛知県の北西部一宮市木曽川町に、日蓮宗の名僧、久成院日相(にっそう)上人の学問所跡があります。
日相上人は、寛永11年(1634年)、同市木曽川町西割田に生まれました。
正保2年(1646)同町にある妙王山法蓮寺の第11世住職日近上人の弟子となり、万治3年(1660)11月、27歳で法蓮寺の第13世住職となりました。
その後、活発な布教と、同寺の修復、整備に力を注ぐとともに、宗門の学問に於いても大いに研鑽を積み、延宝元年(1673)、一宮市木曽川町の地に学問所を開設した。
日相上人は、宗門きっての学僧であり、音韻学の大家としての著述も多い。
この学問所は、元禄13年(1700)に閉鎖されたが、この間に日相上人が書き上げた「妙法蓮華経」(日相本)は、法華経の校本として世に広く知られている。
日相本(要品)
また、一宮市の文化財に指定されている「日相上人墳墓記」は、日相上人の悟りを俗文であらわしたものであるが、学問所閉鎖の前年に完成したものとされ、閉鎖と深い関係があると推察される。
日相上人は、享保3年(1718)10月17日、85歳で遷化され、その学問所跡にこの墓碑が建てられた。
日蓮宗の僧侶、檀信徒にとっては、日頃読誦する法華経の読み方の礎が築かれた大切な場所である。一度は、訪れ日相上人の布教の志に触れてみたい。
日相上人は、寛永11年(1634年)、同市木曽川町西割田に生まれました。
正保2年(1646)同町にある妙王山法蓮寺の第11世住職日近上人の弟子となり、万治3年(1660)11月、27歳で法蓮寺の第13世住職となりました。
その後、活発な布教と、同寺の修復、整備に力を注ぐとともに、宗門の学問に於いても大いに研鑽を積み、延宝元年(1673)、一宮市木曽川町の地に学問所を開設した。
日相上人は、宗門きっての学僧であり、音韻学の大家としての著述も多い。
この学問所は、元禄13年(1700)に閉鎖されたが、この間に日相上人が書き上げた「妙法蓮華経」(日相本)は、法華経の校本として世に広く知られている。
日相本(要品)
また、一宮市の文化財に指定されている「日相上人墳墓記」は、日相上人の悟りを俗文であらわしたものであるが、学問所閉鎖の前年に完成したものとされ、閉鎖と深い関係があると推察される。
日相上人は、享保3年(1718)10月17日、85歳で遷化され、その学問所跡にこの墓碑が建てられた。
日蓮宗の僧侶、檀信徒にとっては、日頃読誦する法華経の読み方の礎が築かれた大切な場所である。一度は、訪れ日相上人の布教の志に触れてみたい。