2017年07月13日

法華のいにしえ 〜日相上人学問所跡をたずねる〜

愛知県の北西部一宮市木曽川町に、日蓮宗の名僧、久成院日相(にっそう)上人の学問所跡があります。

日相上人は、寛永11年(1634年)、同市木曽川町西割田に生まれました。
正保2年(1646)同町にある妙王山法蓮寺の第11世住職日近上人の弟子となり、万治3年(1660)11月、27歳で法蓮寺の第13世住職となりました。

その後、活発な布教と、同寺の修復、整備に力を注ぐとともに、宗門の学問に於いても大いに研鑽を積み、延宝元年(1673)、一宮市木曽川町の地に学問所を開設した。
日相上人は、宗門きっての学僧であり、音韻学の大家としての著述も多い。

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この学問所は、元禄13年(1700)に閉鎖されたが、この間に日相上人が書き上げた「妙法蓮華経」(日相本)は、法華経の校本として世に広く知られている。

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日相本(要品)

また、一宮市の文化財に指定されている「日相上人墳墓記」は、日相上人の悟りを俗文であらわしたものであるが、学問所閉鎖の前年に完成したものとされ、閉鎖と深い関係があると推察される。

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日相上人は、享保3年(1718)10月17日、85歳で遷化され、その学問所跡にこの墓碑が建てられた。

日蓮宗の僧侶、檀信徒にとっては、日頃読誦する法華経の読み方の礎が築かれた大切な場所である。一度は、訪れ日相上人の布教の志に触れてみたい。

 
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2017年06月22日

犬山市 妙海寺で晋山式が行われました

5月28日犬山市妙海寺で法燈継承式が行われ、第32世田中貴遠師より、第33世田中恭遠師へ妙海寺住職の法燈が託された。

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式に先立ち、新住職はお稚児さんと共に晋山行列を行い、歴史ある犬山城下町を練り歩いた。

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多くの僧侶、檀信徒が迎える中、新住職が昇堂。

式中においては、役稚児、田中七海さん田中歩君が新住職の就任を喜ぶ「天童祭文」を読み上げ、御宝前を彩った。

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謝辞で前住職の貴遠師は
「30年余、妙海寺の住職として日蓮大聖人にお給仕させて頂いた事、就任以来の念願であります法華経の道場として次の代に法燈を継承出来ました事、また引退後の身を案じて下さる檀信徒の多き事を感じ、本日は感慨無量でございます」

新住職恭遠師は
「檀信徒と共に真心こめて日蓮大聖人にお給仕いたします」
と檀信徒と共に歩む法華経信仰の決意を語った。
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2017年06月17日

小牧市 敬法寺 法燈継承式

5月13日に小牧市敬法寺で第26世安藤正昭師より第27世阪口潮コ師への法灯継承式が行われ、檀信徒約300名が参列しました。
法灯継承式とは住職の交代の儀式です。

心配していた夜からの雨も奇跡的に上がり、120名を超えるお稚児さん行列とともに新住職は敬法寺に到着。

法要では、住職の証である払子(ほっす)が安藤上人から新住職に手渡され、お稚児さんの小林亮介君、阪口胡海さんが祭文を読み上げました。
阪口新住職は奉告文で安藤師の四十年以上にわたる住職としての活躍を讃え、新住職としてさらなる寺門興隆に尽くし、祖願達成の一端を担うことをご宝前に言上しました。

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謝辞で安藤師は「安藤家として先代から数えて70年、敬法寺と関り、支えてくださった善意と厚誼に感謝したい」と述べ、
阪口師は「お寺の次男として生まれ、入るお寺がない中、住職として檀信徒を教化し大聖人のご本懐を全うしたいと願い、三年間お経をあげ続けました。本日、敬法寺に入寺することが叶い、祖父慈海上人との約束がようやく果たせ感謝の極みであります。皆さまのお役に立てる僧侶になるべく精進して参ります」と涙ながらに決意を語った。

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最後に総代の石田留男氏が安藤師への感謝と労いの言葉をかけ、新住職へ「人々を幸せに導いて、仏教と社会平和のために尽力してほしい」と期待を述べた。
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2017年06月06日

和歌山 報恩寺・高野山 五坊寂静院へ団参に行きました 2日目

本日は昨日に引き続き、和歌山県に団参に来ています。

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朝風呂サイコー!


今日まず向かったのは高野山にある五坊寂静院。
この寂静院には五坊の名が示す通り、妙智坊・法智坊・蓮智坊・華智坊・経智坊という「妙法蓮華経」に因んだ五つの坊があったそうで、若き日の日蓮大聖人がご遊学された場所とのこと。

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しっかりお題目の宝塔もあります。

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脇には鬼子母神の社。

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お堂は少し登ったところにありました。

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まずは皆でお参り。狭い堂内にぎゅうぎゅう詰め。

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ここを管理しているお上人は兵庫県西宮市のお寺(当然真言宗)の住職もされており、本日は団参のために兵庫からレクサスを飛ばして来てくださっていました。

続いて一行は高野山の奥之院へ。

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奥之院の入り口には「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きなん」の弘法大師の誓願が掲げられています。

奥之院の参道は墓地になっており、信長秀吉などの大名をはじめ古今東西宗派問わず様々な人のお墓や供養塔、シャープ、キリンビールといった企業の物故者の供養塔が所狭しと立ち並んでいます。

しばらく進むと橋があり、橋の先からは脱帽・撮影禁止となっていました。

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この橋を渡った奥に弘法大師が。
弘法大師は62歳で入定した後も、奥之院で禅定を続けているとされています。

橋の向こうまで出迎えに来た弘法大師に挨拶をしてから橋を渡り、奥之院を参拝。

参拝後は再び橋を渡り、お見送りの弘法大師に別れを告げて帰路に就きました。



現在、東名阪自動車道はリフレッシュ工事の影響で19キロの渋滞中。

名神はスムーズに流れていることを祈るばかりです。
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2017年06月05日

和歌山 報恩寺・高野山 五坊寂静院へ団参に行きました 1日目

本日6月5日と明日6日の一泊二日、尾張西部檀信徒協議会主催の護法団参で和歌山県へ来ています。

今日は朝、尾張を出発し、まず和歌山県の本山 報恩寺をお参りしました。

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報恩寺は、紀伊徳川家二代目藩主である徳川光貞公が、初代藩主夫人の遥林院の菩提を弔うため開山し、
以来、歴代藩主の奥方の菩提寺として250石の寺領を誇った紀州随一の日蓮宗寺院です。

報恩寺では貫首猊下によるセルフ昇堂太鼓に始まった御開帳法要ののち、宝物庫を案内していただきました。

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山内には至る所に三ツ葉葵の御紋が見られ、宝物庫には、養珠院お万の方が生涯肌身に帯していた仏舎利や、
全国でも珍しい有髪姿の養珠院坐像など、徳川家に関わる品々も数多く収められていました。

報恩寺を発つと今度は和歌山城へ。

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和歌山城は天正13年、紀州を平定した秀吉が弟秀長に命じて藤堂高虎を普請奉行に建てた城で、江戸時代には紀州徳川家の城として西日本に睨みを利かせていました。

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現在の天守閣は、太平洋戦争の空襲で焼失したものを昭和33年に鉄筋コンクリート造で復元したものです。

好天に恵まれ、天守からは城下から和歌浦まで一望できました。

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二の丸の庭園には紫陽花が。

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その後、梅果汁シェア日本一を誇る酒蔵、中野酒造で見学、梅酒・日本酒等の試飲を楽しみ、今夜の宿へ。

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立ち並ぶ梅酒漬込みタンク

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部屋はオーシャンビュー。和歌浦がよく見えます。

明日は高野山の五坊寂静院へお参りに行きます。
posted by owaridendou at 17:08| Comment(0) | 管区行事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする